その皮肉を言って来た誰かは、男だった。少し雨をしたたらせながら、道場の戸口の下駄箱に寄りかかっていて、右肩には短い、竹刀袋のようなものをかけていた。
歳は20代前半といったところだろうか。背が高くひょろりとしていた。上からハンチング帽、半そでのジャケット、黒のジーンズという格好のせいで、余計に縦に長く見える。
髪は金髪でややパーマ、おそらく天然、目は灰味がかった青で肌の色も白く、顔立ちが外国人のそれよりもどこか幼いが、日本人より彫りが深く、平たく言うと美形。もしかするとハーフなのだろう。
コウ達が言葉を失っていると、
「お邪魔してま〜す。って、本当にお邪魔だったかい?」
と帽子をひらひらさせて、軽薄そうに笑った。
コウは警戒心と、「あの場」を見られていたコトへの恥ずかしさを込めて言った。
「あんた、誰だ?」
大体見当はついている。予想通りの返答が返って来る。
「その白い女のコを探しに来た者ですが〜」
「それじゃ、凍ってください」
「え?」
「目覚めよ、熱、光、そして心を奪う、白銀の棺・・・」
ユキナの発した言葉の意味が、コウには一瞬理解出来なかったが、あの冷気で形づくられた狼、ロボ君を思い出す。
戦いの開始の合図は、唐突に告げられた。
瞬間、男の周りに冷気が収束した。空気中の水分を凍結させ、2メートルはあろうかという巨大な霜が、桜井家の道場内に現れた。
男はそれをコウの脇を走り抜けてかわす。すれ違いざまに、コウは男についていた雨水が跳ねてくるのを感じるのと共に、画鋲か何かでつつかれたような、軽い痛みを感じた。
(何だ、今の)
と思いつつ、道場の真ん中あたりですでに腰を傾けて、楽な姿勢で立っている男に視線を向ける。
あの竹刀袋から抜いたのか、片手に、いつのまにか短めの、両刃の剣が握られていた。何故か鞘はついたままだ。
その凶器には目もくれず、ユキナは棒立ちのまま「力」だけを振るう。もう一度冷気が男の所に集まる。またそれもかわされるが、今度は男がとびすさった位置に無数の氷刃が襲いかかる。
これは避けきれない―――と思ったが、違った。
男は鞘から剣を抜き放ち、「はっ!」っと一喝、美しい軌跡を描いて振るうと、ぱぁんという音と共に恐ろしいほどの光量の閃光がほとばしり、氷の刃たちはその熱で水に戻り、蒸発した。
コウは、蚊帳の外だった。
(何だこれ)
そう思うのが精一杯。
(何が起きてるんだ?)
疑問に思っても、それを考えるだけの冷静さは、ない。
コウの脳の情報処理能力は、とっくに限界を超えていた。
見えるのは、巨大な氷柱と、閃光と、剣を優雅に振るう金髪の男と、激昂して髪を扇のように広げ、修羅の面をかぶっている少女の姿。
聞こえるのは、閃光がほとばしる度響く銃声のような音と、剣や氷刃が空気を斬る音と、雨音。
漂って来るのは、物の焦げたような匂いと、湿っぽい雨の匂い。
ただ感じることしかできなかった。
唖然としていて、気がつくと、ユキナが息を荒くして膝をついていた。怒りに身をまかせ、本調子でないのに『力』を一度に使いすぎたらしい。
逆にその雪女と戦っていた男は力をセーブし、ユキナの自爆を誘っていたのだ。
それでも彼女は髪を振り乱し、怨嗟の呟きを漏らす。
「凍らせてやる・・・骨の芯まで凍らせて凍らせて凍らせて、私のお兄ちゃんみたいに粉々に砕いて踏みにじってやる・・・ッ!」
コウは恐怖を覚えた。
いつもの(といっても知り合って日は浅い)明るくてどこかのほほんとした、可愛らしい女のコとは違った。
目の前にいるのは、まさに羅刹。私怨の為に氷雪を紡ぐ、夜叉であった。
脂汗を流してうめくユキナに対して、余裕の表情の男は、へら、と笑って意外なコトを言った。
「あー、もしかして、なんかあった?ここまでやっといてなんなんだけど〜」
「なんかも何も」
ユキナが唸る。
「私の家族をバラバラに引き裂いて、それで、それで・・・それで殺したのは!あなた達でしょう・・・!」
「・・・えっと、多分違うかと〜?」
男は一瞬目をほそめて訝しげな表情になったが、またへらっ・と笑って答えた。
「―――っ!」
ユキナが唸り、再び冷気が彼女の周辺に集まる。
コウははっとなって叫んだ。まずい、これ以上は。
「やめろって!多分この人は、嘘はついてない!」
確証はなかったが、そんな気がした。いや、それ以上に、ユキナにこれ以上『力』を使うのをやめさせたかった。
「五月蝿い!」
一喝し、ユキナはまた氷刃を紡ぐ。
男はそれを見て嘆息すると、一瞬にして、まさに雷光の如き速さで、彼女の後ろに回りこんだ。
その背中に剣の柄頭を当てて、言う。
「ごめんね」
小さく閃光が走り、ユキナはその場に崩れ落ちた。
ふぅ、と溜息をつくと、男はよいしょ、と言ってユキナの首と膝の裏をかかえ、軽々と持ち上げた。
コウはまた目の前で『ありえない事』が起き、その様子をただ呆然と見ていたが、やがてまた正気を取り戻して焦った。
「おい、その子をどうしたんだよ!?」
男はユキナを抱えたまま振り返る。
「あー、だいじょぶ。死んでないから。んで連れて行きます・・・って、あ・君もブランカーなの?」
男の視線は、コウが持ったままでいた日本刀にそそがれている。
そういえば、とコウは思った。この男の髪と瞳が、さっきまで違う色だったような。しかも何か不自然な光が発せられていたような・・・。そしてこの男の発言、「君も」。
まさか、こいつも。
「あんたもなのか?」
「うん、そーそー。見てわかるでしょ?」
やっぱり。
男は間を挟んで、コウをやや睥睨しながら、ユキナを道場の隅にそっと寝かせると言った。
「で・どうするの?この子を取り返す為に、闘るのかい?」
闘る。
おそらく、否、確実にやられる。自分は『発現』してすらいないのだから。それは『戦う者』としての(剣道というスポーツの場での話だが)、勘。
だけど、それでも、
「当たり前だ」
自分がやらなくてはならない。
あの時、子供だったとはいえ、何も出来なかった自分にカタをつける為に。
ユキナと同じブランカーであるこの男が、何故彼女を連れ去ろうとしているかは気になったが、それは大した問題ではない。
このままでは、彼女は確実に連れて行かれる。そしてそれは、彼女の望む所ではない。
彼女を助け、守る理由は、それだけで十分だった。もう、「あんな」後悔はしたくなかった。
(守る、か)
と、自分がとんでもなく傲慢なコトを考えているのに気づいて、コウは自嘲気味に心の中で笑った。
まだなんの『力』も持っていないのに。
自分は、あの希薄でか細い少女よりも弱いのに。
だけど、それでも、
(―――行く!)
「―――っだあああっ!!」
上段に刀を構え、斬りかかる。
目標の半歩前で気合一閃、振り下ろす。
それを、コウの決死の突撃を、男は片手に握った短めの剣で脇へ軽くいなすと、その刀身を無造作に掴んだ。
コウは両手、男は片手でそれぞれ刀を、剣を振るっている。男は華奢な体からは想像もつかない力を持っていた。
男はいなした刀を、そしてその刀に巻かれている封印に視線を落として、一瞬狼狽したように見えたが、真顔になって言った。
その間も二人の鍔迫り合い(コウの刀が押さえつけられているだけだが)は続いている。
「・・・これ、『夕虹』かい?」
なんだそれ?『ゆうにじ』?男の見ている方向からして、自分の刀のコトを言っているのだろうが、なんでこんな見ず知らずの男がそんなコトを。
男はコウの返事を待たずして続ける。
「じゃあ、トオルさん、亡くなったんだね」
この男は今、なんと言ったか。
トオル。
それはまさに、自分の父親の名前だった。
驚愕して、コウは叫んだ。
「な、なんで父さんのコトを・・・!」
男はまたへらっと笑う。
「あぁ、やっぱりかぁ。それじゃぁ、あーんま手加減出来ないかもね」
なんなんだこいつは、とコウは今更のように思う。
父さんのことを知っている。しかも、しかも死んでしまったコトまで。
男は笑い顔のまま、恐ろしいコトを告げる。
「ところでさ、俺の属性は、『雷』なんだけど」
まずい。
コウは感電を避ける為、刀から手を離す。
が、その場から飛び退こうとしたその腹へ、鋭く重い蹴りが見舞われた。
「―――ぅぐっ!」
コウは道場から放り出され、後頭部を庭の石畳へしこたま打ちつけた。視界が歪む。
意識が朦朧とし、雨になぶられているコウの所へ、鞘・封印つきの刀、『夕虹』が放られた。がしゃん、と音をたてる。
「刀を手放しちゃマズいでしょー?丸腰で勝てるわけないんだからさ〜」
男は道場のひさしの下まで来て、剣の鞘を取り払った。男の髪が、瞳が、薄紫色へと変貌する。
「ま・刀があっても、変わらなかったみたいだけどね」
抜き身の剣が、天へと掲げられる。するとそれは男の髪と瞳と同じ色で発光し、焚き木の爆ぜるような音をたてながら、雷火を纏った。
「じゃ・頑張って来てね」
男は意味不明の言葉を発すると、コウのいる位置を雷撃でひと撫でした。
・
・
・
・
・
(やっぱ、駄目だったか・・・)
光の中で、コウは思った。否、思ったことが自分の耳に聞こえて来た。多分、ココは。
(やっぱ、死んだのか・・・)
同じ過ちを、二度繰り返した。
守りたい人を、守れなかった。
そして、おそらく、死んだ。
こうなることは大体わかっていた。
が、それをどうにかしたかった。
が、やはり駄目だった。
ごめん、母さん。
ごめん、父さん。
ごめん、ユキナさん。
そして、ごめん。ハルカ。
コウの意識の周りを包んでいる光が、弱くなってきた。
そして弱まって行く光はいつしか、猛り狂う炎へと変わっていく。
そしてコウはその炎の中で、涙を流していた。
(ちくしょう・・・)
助けたい。助けたかった、ではなく、助けたい。
その気持ちだけが、コウの気持ちを、体中を、駆け巡った。
―――――と、
突如として、周りの炎がコウの眼前に収束し始めた。
そしてそれは、小さな少女の形をつくりあげた。コウは既視感を覚える。これって―――
少女がコウの思考を遮るように、小さな口をゆっくりと開いた。
「力が、欲しいの?」
コウは間髪入れず言い放った。
「当たり前だ」
「どうして、必要なの?」
「もう、後悔したくないんだ」
コウは涙をふいて続けた。
「大切な人を、や、ユキナさんはまだそんな人なのかわからないけど、あの子を・・・助けたいんだ」
炎で形づくられた少女は、その輪郭を揺らめかせながら、表情を変えずに言う。
「でも、それは後悔とは違う。あなたは、やれるだけのことはやった」
――――間。
「力がない普通の人としてはね」
――――間。
「それで、死んだの」
「それは、違うって」
「死んだ、って事実が?」
「そういうことじゃない」
コウはにこり、と微笑みかけた。目の前にいるこの少女が何なのか、いや、誰なのか、もうとっくにわかっていた。
「まだ、出来るコトはある」
――――間。
「まだ、君の力を借りて、戦える」
――――間。
「やれるコトがあるのに、あきらめたくないんだ」
――――間。
「死ぬコトよりも、誰かを失うコトの方が、俺は怖いんだ」
――――長い、間。
そして少女は、にこりと微笑んで、ついに言った。
「契約内容、『ユキナさんを助ける』・・・これで、いいの?」
「ああ」
少女は炎の獣―――七つの尾を持つ狐―――に変わり、コウを包んだ・・・
・
・
・
・
・
「来たね」
男はコウを待っていた。
ひさしの下で頬杖をつくのをやめ、立ち上がり、剣を取る。
倒れているコウの髪が、紅にそまっていく。まるで太陽のような、オレンジを帯びた、燃え盛る真紅に。
「契約完了、だねぇ・・・」
男は例の薄笑いを消し、剣を構えなおした。髪が、瞳が、雷のエネルギーに満たされて、薄紫に輝く。
コウの眼が開く。その瞳も、真紅。
(ユキナさんは?)
コウは腕で体を支えて上体だけを起こして、あたりを見回す。
と、道場のひさしの下に、あの男がいた。というコトは。
「ユキナさんは、いるんだろ?」
「うん、いるよ〜」
あの柔和な態度で返して来る。その態度のまま続ける。
「契約おめでとう・・・と、いう訳で、自己紹介しよう」
コウは完全に体を起こして立ち、鞘のついたままの刀を下段に構えると、勝手に話を進め始めた男を睨んだまま、黙った。
こいつは自分が『発現』するのを促した。わざと自分を窮地にたたせるコトで。
今の「おめでとう」という台詞。そして雷撃を放った時に言った台詞「頑張ってきてね」。
これらの言動から、本心こそはかりかねたが、大体の意図は把握できた。
自分を精霊と契約させてから、戦おうとしている。
「俺の名前は、草薙イチト。ジャグはこの「草薙の剣」。通り名は・・・あ、考えてなかった。まぁ以後、宜しくね〜」
また不可解な単語がいくつか出た。特に「以後」。今後自分に会うつもりがあるのか。
そんなコトを考えていると、草薙と名乗った男が最後に付け加えた。
「呼び名は・・・『イチトさん』とか『草薙先輩』でいいから〜」
それはあえて無視して、コウも名乗る。
「俺は、桜井コウ」
それだけ。そして、刀を構えたまま一番気になっているコトを訊ねる。
「あんた、どういうつもりなんだ?」
「何が〜?」
「なんで俺のコトを待ってたんだ?」
「色々あってね」
答える気はないらしい。コウは質問を変えることにした。
それは、ある意味一番気になっていたコト。この優男を悪人だと思えない、一番の理由だった。
「じゃ、どうしてその子を人質に取ってから戦わないんだ?」
「そうする必要がないからさ」
「・・・そうするまでもなく倒せるってコト?」
「それは違う。むしろ俺は、君の全力が見たいんだよ」
「どうして?」
「そりゃあ―――」
イチトは真顔になった。雨で濡れ、垂れ下がった薄紫の髪の間から、同じ紫電の瞳が、コウを真っ直ぐ見た。
「君の力を試す必要があるから」
そしてまたあの軽薄な、もとい柔和な笑顔を浮かべると付け加えた。
「ま、ついでになっちゃったけど」
「どうして・・・」
イチトは大仰な仕草で両手を上げて、コウの二度目のどうしてを遮った。
「おっと、そこまで。これ以上は君の戦意を削ぐだけでしょー?」
そして道場の中で気を失っているユキナを、ちらりと見た。
「俺はあの女の子をさらいに来た悪の手先。んで君はあの子を守るナイト様」
また、へらっと笑う。
「それでいいっしょ?」
改行
その言葉と同時に、イチトからコウへ、まるで+極と−極のように、電撃が迸った。先刻よりエネルギーが増している。
開戦の合図だった。
コウの刀の封印が燃え上がり、滓も残らず消えた。
コウは迷うことなく刀を抜き、迫り来る雷撃を、『夕虹』の刀身から炎を放ち、迎撃した。
「―――っはぁ!」
今度は雷撃を放ったイチト本人が攻撃を仕掛けて来た。
コウはその斬檄をすんでの所で受け止め、鍔迫り合いに持ち込む。剣の刃に触れた真紅の毛髪が、はらりと落ちる。
「今度は手、離さないでね」
イチトの剣からコウの刀へ、電光が走った。
瞬間、コウの体へ激痛が走り、鼻の奥に焦げ臭い匂いが広がる。こらえきれるはずもなく、叫び声を上げる。
「・・・ぅ・・・ぐ、うぁぁぁあああああ!!!」
それでも、刀は離さない。
そしてさらに、自らの力を振り絞る。
「こん・・・の・・・おぉ、おおおおっ!!!!」
再び『夕虹』から七尾、炎が迸り出、イチトに襲いかかった。
イチトはたまらず鍔迫り合いから剣を離し、後ろへ跳び下がった。
―――と、今まで雷撃に焼かれていたコウが、間合いを詰めた。
―――ここだ。
体中が悲鳴を上げるが、関係ない。
なんだか視界もぼんやりしているが、関係ない。
なんだか感覚も薄い。雨、降ってるはずなのに、冷たくない。が、関係ない。
大切な人を失う痛みに比べたら―――
右手を刀の柄頭に添え、左手を順手に持ち、全速で突進した。―――刺突だ。
コウはその刀身に、自分の出せる全ての炎を込めた。
「―――っ燃えろおおおお!!!!」
コウは紅蓮の炎を纏い、狐の顎と化し、イチトとその剣を貫き、噛み砕き、そして燃やし尽くした。
雨がやみ、雷雲が去った。夕焼けの空に、虹が浮かんでいる。珍しいな、写メにでもとっとくか―――
と考えたきり、コウの意識はとんだ。
この駄文をページに載せていただくにあたり、マスターさまに甚大な手間と精神的苦痛(いやマジで)を与えてしまいました。 この場を借りて謝罪&懺悔させていただきます。 『本当に申し訳ありませんでした』
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